2006年09月の記事 | サッカーニュース♪ |
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ミラン、CLグループリーグでリールとスコアレスドロー2006年09月29日(Fri) 00:19
先日行なわれた欧州CLグループリーグ、ミランvsリールの一戦はスコアレスドローに終わった。
試合後、ミランのアンチェロッティ監督は満足感を示しながらも、セードルフのゴールが不当に取り消されたことへの怒りを露わにした。 同監督は「ミランは正しいスピリットで試合が出来たと思う。勝つチャンスはあったけど、少々運に恵まれなかった。後半も同じようになったね。だが、満足はしているよ。ここでのドローは簡単じゃないのに、うまくいったからね。リールは強いチームなんだ。選手たちが疲れていた可能性はあるが、全体的には彼らには多くのチャンスを与えなかった。だから、いい試合だったし、いい結果と言える。」と語った。 一方、オフサイドの判定で認められなかったセードルフのゴールについては、「リプレイを見ないほうがよかったよ。議論の余地もないプレイだ。DFは戻る時に止まっていたし、セードルフは明らかにオンサイドだった」と不満を露わにしている。 ジラルディーノ1トップにトップ下にカカとセードルフを据える“クリスマスツリー型”のフォーメーションで臨んだが、カカはその戦術に対して多少の不満を感じているようだ。 同選手は「個人的には2トップの戦術で戦いたい。その方が、それほどボールをキープしなくてすむからね。僕がボールを持っているときや1対1でエゴイストすぎたと言う人もいるけど、FWとしてプレイするときには必要なことだ。ストライカーが2人いる方が、僕にとってはアシストしたり、チームとして動かしやすいんだよ」と語った。 一方、ガットゥーゾは試合の結果や監督の戦術に満足しているようだ。 「リールはスピーディでケンコなチームだと思っていた。少し研究していたんだが、試合でのパフォーマンスは良かったとおもっているよ。ただ、ゴールを決めることができなかったんだ。オレの好きなフォーメーション?監督の決めるやつがいいね」 と本人は語っている。 また、この試合はガットゥーゾにとってミランでの300試合目となったが、 「少し歳をとったように感じるな。でも嬉しいよ。今はもっとミランのためにプレイしたいと思っている。」 とコメントしている。 ミランは依然グループ首位をキープしており、時節はアンデルレヒトと対戦する。 アンチェロッティ監督は次の一戦に対して 「勝たなければいけない試合」 とコメントした。 ファケッティ会長死去2006年09月06日(Wed) 07:40
インテルの会長ジャチント・ファケッティ氏は、治療不可能な病気のため4日に死去した。
グラウンドの中でも外でも大きく力強い存在だったが、病には勝てなかった。選手としては圧倒的なフィジカルの強さを誇り、エレーニオ・エッレーラによってサイドバックに起用された彼は、ペナルティーエリア内に侵入するあらゆるFWを苦しめていた。1942年7月18日にベルガモ県で生まれたファケッティは地元チームのトレビッリェーゼでFWとしてサッカーを始め、1960−61シーズンの終盤にインテルに加入。61年5月21日のローマ戦(アウエー)でセリエAにデビューし、チームは2−0の勝利を収めたが、19歳のファケッティのプレーはさほど目立ったものではなかった。それでもエッレーラは彼に大きな期待をかけ、「チームにとって欠かせない柱になる」と後押ししていた。 “巨漢”ジャチントはまさに柱と呼ぶにふさわしい選手だった。自らゴールを決めなくとも、試合では存在感を見せつけ、タイトル獲得に貢献する。彼がプレーしていた時代の“グランデ・インテル”は1964年と65年にチャンピオンズカップ、63年、65年、66年、71年にスクデットを獲得。ほかにはインターコンチネンタルカップ2回、コッパ・イタリア1回のタイトルも獲得している。 イタリア代表での活躍も、インテルでのそれに劣るものではなかった。1963年3月27日のデビュー以来94試合(ディノ・ゾフとパオロ・マルディーニに次ぐ歴代3位)に出場。68年には欧州選手権を制し、70年のワールドカップ(W杯)・メキシコ大会でも準優勝という結果を残した。 その8年後のアルゼンチン大会でもチームに同行し、カリスマ的な彼の存在はアズーリ(イタリア代表の愛称)に安心感と力強さをもたらしていた。この年にファケッティは現役を引退。ピッチ上の左サイドからクラブ役員のソファーへと活躍の場を移した。愛するインテルを側で支えるため、クラブの国外担当責任者を経て、マッシモ・モラッティのもとでジェネラル・ディレクターに就任。ペッピーノ・プリスコの死去に伴って副会長に昇格し、2004年からは会長を務めた。 ジャチント・ファケッティは礼儀正しく誠実な人物として常にサッカー界で賞賛を浴びていた。いつも控え目な発言や、穏やかながらも決意のこもった声のトーン、足を伸ばしてのタックルを嫌うことなどに彼の人間性がよく表わされていた。その姿はグラウンド上でのプレースタイルとなんら変わるところがない。DFでありながらキャリアを通してレッドカードを受けたのはわずか一度だけだった。 | - | comments(1) | trackbacks(0) |
日本代表、中東遠征メンバー発表2006年09月01日(Fri) 02:11
GK
23 川口能活(磐) 43 山岸範宏(浦) 44 西川周作(分) DF 14 三都主アレサンドロ(浦) 20 坪井慶介(浦) 21 加地亮(G) 45 田中マルクス闘莉王(浦) 31 駒野友一(広) MF 50 中村直志(名) 51 羽生直剛(千) 4 遠藤保仁(G) 52 二川孝広(G) 55 鈴木啓太(浦) 30 阿部勇樹(千) 56 山瀬功治(横) 58 田中隼磨(横) 59 小林大悟(宮) 35 長谷部誠(浦) 71 伊野波雅彦(東) 72 梅崎司(分) FW 36 巻誠一郎(千) 65 我那覇和樹(川) 37 佐藤寿人(広) 38 田中達也(浦) | 1/1PAGES |
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